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河伯の由来

河伯の由来

水神 河伯(かっぱ)と田尻家

我が家には、伝説の動物とされるカッパのミイラが現存しています。
そのミイラの姿は、体調約70cm、頭がい骨が皿のようにくぼみ、背中は一見甲羅のように16個の背骨が突出し、足が前後で4本、特に前足は指が5本に対し、後足には指が3本、そして指と指の間には水かきがついています。
見れば見るほど不思議な面相をしていて、昔から描かれているカッパの絵によく似通った特徴が数多く見受けられます。

さて、我が家にどうしてこのような不思議なカッパがあるかと由来をたどってみますと、田尻家は私で17代にあたりますが、昔から当家には何か珍しいものがあるらしいという言い伝えがありまして、それが何でどういうものかは皆目わからぬままに何代も過ぎて参りました。

ところが、ちょうど昭和28年に母屋の屋根の葺き替え工事中に、大工の棟梁が「梁の上にこんなものが…」と持ってきたのがボロボロの紐でくくった黒い箱。蓋をとると中からなんとも奇妙な動物のミイラが出てきました。
最初は一同ビックリ仰天。
更に黒い箱を調べてみると、箱には「河伯」と墨書きの二文字が書かれてあります。ものの本によればこれが本当のカッパという文字だということで、カッパであることが判明しました。

では何故、この田尻家にカッパがあるのでしょうか?

話はさかのぼりますが、戦国時代の田尻家は、筑後の国・田尻村の豪族で、当時、筑後のオオカミと呼ばれるほどの勇力を持ち、肥前の竜造寺、豊後の大友氏との間に幾度かの戦いを繰り返しながら、今から430年前に鍋島直茂公によって、肥前国下松浦郡山代村(現・伊万里市山代町)に所領1650町歩を与えられ、定住の地とした訳です。

ところで、この筑後の国田尻村には飯江川という大きな川が流れ、この河には筑後川とともにカッパの伝説が数多く存在します。その田尻村から山代村に移住するときに、このカッパのミイラを持って来たのではないかと推測しています。

山代村に移住した田尻家は、正徳6年(1716年)より酒造りを営んで来ました。
お酒には何と言っても、良いお米ときれいな水がないとおいしいお酒は出来ません。
当時は、井戸を掘ってきれいな水を掘り当てる以外に方法がなかったと思いますが、カッパはきれいな水にしか生息せず、水の守り神として崇められていたので、多分、きれいな井戸水を掘り当てる願いをかけて「水のお守り神」として大切に保存されていたのではないかと思います。

現在、田尻家は観光酒蔵として、この水神カッパのミイラのほか古い酒造道具や農機具・民族資料など、200点あまりを展示して一般の方々に無料でご覧頂いています。
「これは本物だ」「いや、カッパは架空の動物だ。作り物だろう」といった、カッパ評議に花が咲きますが、本物?偽物?…いずれにせよ私どもは先祖から受け継がれた水のお守り神、すなわち酒のお守り神として今後も大切にして、良いお酒をつくるよう更に研鑽努力をしていこうと心を新たにしています。

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河伯の蔵・入口

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